みなさんこんにちは! 今回は、【やさしい美術史】シリーズ第3弾です! 早速始めていきましょう!
色の抱擁で感じる大いなる存在『抽象表現主義』
始まり
暗黒の木曜日と呼ばれる1929年10月24日、戦後好景気が訪れていたニューヨーク株式市場の株価が突如として暴落し、世界を巻き込む経済危機”世界恐慌”に発展しました。これによってアメリカでは失業率が25%を超え、その経済対策としてフランクリン・ルーズベルト率いる民主党政権が、政府が積極的に経済に介入していく”ニューディール政策”を打ち出しました。この第二期における政策の一環として、5つのプログラムからなる芸術家支援計画「フェデラル・ワン」が設けられ、この内のヴィジュアルアート(美術、視覚芸術)分野に当たる「連邦美術計画」によって、ポロックやデ・クーニング、ベン・シャーンを始めとした抽象表現主義の芸術家が実績を積みました。その後、第二次世界大戦の勃発によりヨーロッパから多くの芸術家がアメリカへ移住したことで、ニューヨークを中心に前衛芸術の旗手として”抽象表現主義”が隆盛しました。
表現と思想
シュルレアリスムの影響を受けユングやフロイトの精神分析の概念を作品に取り込み、アクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティングという2つの表現方法を編み出しました。前者は、当時支配的だった実存主義的な意味合いが強く、オートマティスムから着想を得て意識下の根本的真理を捉えようとしました。一方後者は、”オール・オーヴァー”という鑑賞者の視界を越えるほどの巨大キャンバスに徹底的な平面性を表すことによって、鑑賞者に対して崇高さや神秘的体験を感じさせようと試みました。
*崇高
美的範疇(美学的カテゴリー)の1つで、18世紀以降では、しばしば「美」の対概念として考えられており、ロマン主義的で主に自然を対象にしていました。エドマンド・バークの『崇高と美の観念の起源』(1757)では、「美」の特徴を対象の小ささや柔和さ、明瞭さとしたのに対し、「崇高」は対象の巨大さや恐ろしさ、曖昧さとしました。エマニュエル・カントの『判断力批判』(1790)では、「崇高」を「美」と対照的かつその付随的なものと見做しました。20世紀になると、哲学や批評理論の分野で再度脚光を浴び、主にアメリカの抽象表現主義の作品を称賛するために用いられました。
著名なアーティスト
アクション・ペインティング
カラーフィールド・ペインティング
アクション・ペインティング×カラーフィールド・ペインティング
批評家
グリーンバーグやローゼンバーグといった美術批評家による議論が活発に行われ、”モダニズム(近代主義)は絵画の平面性を強調していく”という考えのもと、抽象表現主義の芸術家をモダニズムの次世代を担う存在として評価しました。彼らは、ミニマリズムについて言及したフリードやクラウスのような後世の美術批評家に大きな影響を与えています。
*モダニズム(近代主義)
同時代的な「新しさ」を標榜する態度や様式のことで、20世紀において美術批評家のクレメント・グリーンバーグは、絵画におけるモダニズムを”絵画固有の性質である「平面性」の探究”として位置付け、抽象表現主義の作品をその系譜に連なるものとしました。現在では、モダニズムの理念そのものがある特定の歴史性を帯びています。
ということで、いかがでしたでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました!
もしこの投稿が良いなと感じた方は、シェアやフォローをお願いします!
プレッジの支援もしていただけると嬉しいです!
次回予告
【やさしい美術史】第4弾 大衆文化ラブ『ポップ・アート』
お楽しみに!
参考文献
『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)
『世界アート鑑賞図鑑』(スティーブン・ファージング、樺山紘一、東京書籍)