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美術史

【やさしい美術史】第5弾コンセプチュアル・アート

年表

始まり

コンセプチュアル・アートは、美術館やギャラリーが定めたジャンルへの抗議として1960年代に生まれました。美術館やギャラリーは、”これが芸術だ”と明言したのに対し、コンセプチュアル・アートは、”芸術とは何か”という芸術の本質を問いました。 ”コンセプチュアル・アート”という言葉は、1960年代後半から使われ始めました。1967年には、ソル・ルウィットがアートフォーラム誌に寄稿した論説「コンセプチュアル・アートに関する断章」にて、”この新たな芸術は、従来の慣例の裏返であり、コンセプトを前面に出して、作品の副産物を真の産物にした。”と説きました。
元々は、ダダやマルセル・デュシャンの《泉》が原点になっています。デュシャンは、鑑賞者に何が芸術か、美術館はいかに作品に真正性を持たせているのかを考えるように訴えました。
コンセプチュアル・アートは、論議を誘発し、インスタレーションやパフォーマンスへの道を築きました。1970年代半ばには、すでに勢いは衰えていましたが、その後ヤング・ブリティッシュ・アーティストなど若い世代に影響を与えました。

インスティテューショナル・クリティーク

インスティテューショナル・クリティーク(制度批判)は、美術にまつわる諸制度の意義や役割を批判的に問う実践のことです。美術制度は、芸術生産を支えてきましたが、一方で芸術活動の自由度を狭め、万人に開かれていくべき美術作品を限られた人の占有物にする危険を伴っています。そのため、インスティテューショナル・クリティークは芸術をより民主的なものに変えていくことを目的にしています。つまり、それは芸術概念を再考するということでもあります。コンセプチュアル・アートは、作品の形式より内容に強調点を置く20世紀美術最大の潮流なのです。

脱美術館化

脱美術館化とは、芸術作品が美術館(ギャラリー)の閉じた空間から抜け出すプロセスのことを指します。具体的にどのような活動がなされたのか実践例を見ていきます。

ヘンリー・フリント 《反美術館キャンペーン》

フリントは、”コンセプト・アート”という言葉の発案者で、「生真面目な文化を破壊せよ!」などと書かれたプラカードを首から下げて著名な美術館の前に立つという活動を行いました。これは、エリート主義的ブルジョワ文化への批判を表しています。

マイケル・アッシャー

ポモナ・カレッジ・アート・ギャラリーで行われた展示で、アッシャーはギャラリー内に新たな壁面を導入し、空間自体を変容させました。さらに、入口を取り除くことで24時間誰でも出入り可能な場となりました。
ギャラリー自体を作品に変えてしまうことで、展示空間の意義を問いかけました。

クレア・コプリー・ギャラリーでは、展示スペースとオフィスを仕切る壁を取り除くことで、ギャラリーの舞台裏が前景化されました。これは、芸術をめぐる過度の商業主義に対する抵抗でした。
アッシャーは、過去作の再生産を滅多にせず、作品にタイトルも付けませんでした。それによって、自己の芸術活動が単なる商品として消費されていく状況に抗おうとしたのです。

マルセル・ブロータース 《近代美術館 鷲部門》

ブロータースは、自宅内に虚構の美術館分館を設立し、自ら館長に就任しました。そして、作品展示用の棚を用意し、関係者を招いたオープニングパーティーを催すなど本格的に美術館を模しました。これは、「美術館とは何か」という本質的な問いが含まれています。

主なアーティストと作品

ジョセフ・コスース 《1つ、そして3つの椅子》

© 2021 Joseph Kosuth / Artists Rights Society (ARS), New
York, Courtesy of the artist and Sean Kelly Gallery, New York

コスースは、芸術の言語的本質を探求した最初の芸術家の一人です。彼は作品に対して、「表現は形式ではなく概念にある。形式は概念に付随する装置でしかない」と述べています。この作品は、平凡な折りたたみ椅子、椅子のシルバーゼラチン写真、辞書掲載の”椅子”の定義の拡大写真の三つからなっており、鑑賞者に椅子の概念を物質的、具象的、かつ言語的に考えさせます。「椅子とは何か」「いかにして椅子だと認識したのか」ということを問うているのです。”椅子”の定義を読めば、その言葉と展示してある実物の木の椅子か椅子の写真を連結出させると思います。一方定義だけを読んだ時は、別の椅子にまつわる個人的な体験を思い出すかもしれません。ギャラリーに持ち込まれた椅子は、椅子としての機能を失い、熟考のための美術品として新たな意味を与えられました。物理的な外観は重要ではなく、展示される場所ごとに別の椅子が使われ撮影されます。私が以前訪れたポンピドゥーセンターでの展示では、このような椅子が使用されていました。

コスースは、作品を通していかにして物体の描写や説明と物体そのものが結びつくのか、いかにしてその関連性は成立するのか、一方が他方より価値があるのか、といったことを問うています。芸術や文化は美や様式ではなく、いかにして言語や意味を介して構成されるのかを考えるように求めています。

ヨゼフ・ボイス 《死んだ兎にいかに絵を説明するか》

© Joseph Beuys

このパフォーマンスで、ボイスは死んだ兎を大手ギャラリー内を3時間歩きました。顔や体に蜂蜜と金色の絵の具を施してシャーマンに扮し、兎に絵を解説するように無言で唇だけを動かしました。ボイスは、芸術を頭だけでなく心でも理解する必要性を説いたのです。

ピエロ・マンゾーニ 《芸術家の糞》

マンゾーニは、芸術の本質を問い、大量生産や消費至上主義を批判しました。彼は、”芸術家の糞”と記した小さな缶を90個作りました。中身は芸術家の糞であるとし、値段は金の時価を基に重量で決められました。開けると価値が下がるとされていたため、中身は長らく不明でした。

ジェニー・ホルツァー 《無題》

ホルツァーは、公共の電光掲示板などに言葉絵お提示する作品を発表しています。この作品は、”あなたは、あなたが倣う規則の犠牲だ”という警句を流したものです。時に、彼女はビルやギャラリーの表に、矛盾する寸言を掲げて言葉の意味を問うことがあります。

ローレンス・ウェイナー ”a decalration of intent”(意思表明)

1.作家が作品を組み立ててもよい。 The artist may construct the piece. 2.作品は(作家以外の者によって)組み上げられてもよい。 The piece may be fabricated. 3.作品は組み立てられなくてもよい。 The piece need not built. これらの選択肢はどれもが等しく作家の意図と合致しているので、(作品の展示)条件の決定は、その時に(作品の)管理者の地位にある者に委ねられている。 Each being equal and consistent with the intent of the artist the decision as to condition rests with the receiver upon the occasion of receivership.

アート・アンド・ランゲージ ”Art-Language誌”

《Untitled Painting》

© Art & Language

アート・アンド・ランゲージは、主流の近代美術の実践や批評の批判的前提に疑問を投げかけました。彼らの初期の作品の多くは、これらの問題についての詳細な議論が彼らのジャーナルやギャラリーで発表されていました。

芸術労働者連合(AWC)

AWCは、アーティスト、映画製作者、作家、評論家、美術館のスタッフが参加していました。主な目的は、市の美術館に対して展示政策における差別や不平等を解消し、より多くの女性や黒人のアーティストが代表されるように圧をかけることでした。このグループには、アーティストのカール・アンドレ、ロバート・スミッソン、ハンス・ハーケ、作家でキュレーターのルーシー・リパードも参加しています。

ミエーレ・レーダーマン・ユークレス 《Ceremonial Arch IV》

© Mierle Laderman Ukeles

ユークレスは、「メンテナンス・アート宣言」を書き、家庭内の男女別役割という視点から制度批判を展開しました。彼女は、労働を「発展」と「維持」に大別し、伝統的に女性が担い手とされてきた家事を後者に位置付けます。そして、家事が正当な労働と認知されてこなかったのと同様、美術制度でも「発展」労働が創造的なものとして称揚される一方、「維持」労働が不当に軽視されてきたと主張しました。ユークレスは、地元や連邦政府機関から寄贈された作業用手袋やその他のアイテムで作られたこのアーチを、物事を維持する仕事への敬意を表して立てています。

《私は1日1時間メンテナンス・アートを作る》

© Mierle Laderman Ukeles

この作品で、ユークレスは館内の清掃や管理を担う作業員に参加を促し、1日の労働時間のうち1時間を芸術制作に割り当ててもらいました。その1時間で作業員がした日常的労働行為は記録され、芸術作品として展示されました。美術館を裏方として支える膨大な量の維持労働を可視化すると同時に、そうした労働を周縁化する美術制度に対する批評としても機能しました。

《タッチ・サニテーション・プロジェクト》

© Mierle Laderman Ukeles

1970年代半ば以降、ユークレスは美術制度の外を出て、社会の中で周縁化された維持労働を可視化するアートプロジェクトを展開しました。この作品では、ゴミ処理に従事するニューヨークの労働者に光を当てました。彼女は、毎朝の点呼に顔を出し、作業に同行して市内を巡りました。そして、行く先々で全作業員と握手を交わして感謝の意を伝え、その記録をアートとして発表しました。

ゲリラガールズ 《メトロポリタン美術館に入るには裸じゃないといけないのか?》

© courtesy www.guerrillagirls.com

ニューヨークを拠点に活動する女性アーティストらによって結成されたアート集団で、美術界に蔓延する男性中心的構造を告発しました。この作品には、「近代美術部門の作家に占める女性の割合は4%に満たないが、裸体画の76%以上は女性である」という説明が付されています。

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次回予告
【やさしい美術史】第6弾『インスタレーションアート』
お楽しみに!

参考文献

『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(山本浩貴、中公新書)

『世界アート鑑賞図鑑』(スティーブン・ファージング、樺山紘一、東京書籍)


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