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哲学

【やさしい哲学】
第1弾
目指せ絶対精神
『ヘーゲル』

みなさんこんにちは!
今回から、新シリーズを始動していきたいと思います!
その名も【やさしい哲学】シリーズです。
芸術と少なからず関係してくる哲学という分野をイラストを交えながら優しく紐解いて、アーティストに影響を与えた哲学者の思想とはどんなものかというのを見ていきたいと思います。
※【やさしい美術史】シリーズとは2本ずつ交互に投稿していく予定です。

まず始めていく前に、哲学とは一体どういう学問なのかを簡単に説明したいと思います。

哲学とは、自然現象の原因や宇宙の事実と真実、そして存在することの意味などに関わる知識を追求していく学問です。
例)・世界はどうしてできたのか、また世界はなんでできているのか?
  ・人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?
要は、世界の真理を探究する学問と言えますね。

そして、今回紹介するヘーゲルは、19世紀の哲学者で「私たちは世界を正しく認識しているのか?」という問題に対して、”主観”と”客観”という二元論によって答えを出そうと試みることで、近代哲学の思想に一応の決着をつけた人物です。

【やさしい美術史】シリーズ第1弾の『ダダ』では、「進歩史観」という観念を示した人物として取り上げましたね。(まだ読んでない方は、こちらからどうぞ)
このような思想に至るベースになった弁証法という考え方は、芸術を過去のものとみなした「芸術終焉論」にも使われているので早速見ていきましょう!
※今回「芸術終焉論」にはあまり触れていませんが、今後哲学から派生した”美学”について書くときにご紹介できたらと考えています。

絶対精神で見る世界の真理『ヘーゲル』

シュトゥットガルト(ドイツ)出身 主著:『精神現象学』『法の哲学』

年表

弁証法

まずは、ヘーゲルの十八番の弁証法を見ていきたいと思いますが・・・
その前に、超大先輩ソクラテスの使った弁証法とは別物ですので、そこを一応押さえておきましょう。
*ソクラテスについては、そのうちご紹介できればと思っております。

ソクラテス大先輩は、通りがかりの人たちに様々な質問を投げかけながら問答を続け、彼らの主張に内在する誤りに気づかせようとしました。それが、「無知の知(正確には、不知の自覚)」として知られている考え方です。この世界のことは全て知っていると思い込んでいる人たちに対して、ほとんど分かっていないということを自覚することが大事だ、ということを主張しているわけですね。このように問答しながら多くの人を正解へと導こうとしたプロセスを、「弁証法(もしくは問答法)」と呼びました。

では、ヘーゲルの弁証法とはどのようなものか解説していきます。
少し難しくなるので、イラストを見ながらゆっくりと理解していきましょう。

全ての有限なもの、永遠不変でない存在は、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)という相容れない矛盾を内包しています。その2つは、対立と運動を続けて綜合した新たな存在であるジンテーゼ(正反合)に至ります。この新しい存在もまた、新しいテーゼとアンチテーゼを内包しており、その新たな段階に達することをアウフヘーベン(止揚)と言います。この運動は永遠に続き、存在は自己発展を続けます。最終的に、人間精神の最高段階に達すると”絶対精神”ー人間が認識している現象(主観)と存在の実像である対象(客観)を一致させたものーを獲得します。そして、人間は世界の対象(真実)を知ることができます。

より分かりやすくするために”スマホ”に当てはめて考えてみましょう。
Aくんが”スマホ”を初めて持った時、それを”電話”だと認識したとします。
ところが、”メール機能”があることを知り、今までの認識が揺らぎます。
そこで、これを”携帯電話”と認識することにしました。
しかしさらに、”アプリ”という機能があることを知り、再びこれまでの認識が揺らぎます。
そこで、これを”スマホ”と認識することにしました。
このように人間は認識を深めていくというのが、ヘーゲルの考えた弁証法です。

ここで、なぜ”芸術は終わった”という考えに至ったのか、簡単に触れてみたいと思います。
芸術は、絶対精神の第一段階で感性的直感の形式として考えられました。
しかし、学門(哲学)の時代であった19世紀において、表象形式としての宗教や概念形式としての哲学によって乗り越えられるべきものとしたため、芸術は過去のものとみなされました。

認識論

次に、弁証法の基礎となる基本的な考え方を先輩の哲学者カントの認識論と比較しながら見ていきましょう。

カント先輩は、客観の物自体は正確には認識できないが、主観に現れる世界(現象界)として客観的に認識できると考えました。人間には4つの能力(感性・構想力・悟性・理性)が備わっていると言います。
まずAくんは、感性(五感)を通して対象から情報を得ます。
そして、構想力によってこれらの情報を1つにまとめ、悟性(知性)によって”リンゴ”という概念に当てはめます。
しかし、それはあくまでも頭の中で捉えたリンゴで、まだ実物のリンゴと一致しているとは限りません。
ですが、Bくんとそのリンゴを認め合えた時、理性によって実物のリンゴと一緒とは言えないが客観的に(現象界のうちに)それを認識できたと判断できるのではないか。
これが、カント先輩の考えた認識論です。
一方、ヘーゲルはというと・・・
主観の外の客観のことは考える必要はないし、客観の世界を前提にする必要もない。
主観と客観の区分け自体、主観という意識の中で建てられたものに過ぎない。
だから、”意識の上に現れることだけを問題にすればよい”と考えました。

そして、私(主観)を近代社会と接合して考えるという現実主義的な思想をまとめました。
これを、社会思想もしくは歴史思想と言います。
一人の人間の成長過程に例えて、社会における人間の認識プロセスをこのように捉えました。

1. 1つのものを「意識」し、それが何かを深く知っていく。
2. 自分自身が何であるか、社会と自己との関係で「自己意識」を作り出す。
3. 大人になるにつれて、自分の存在が他人や社会によって支えられていることに気づく。
4. 「理性」をもち、「労働」や「教養」によって自己を「社会的な存在」として自覚し、社会の中で調和と秩序を持った存在になる。

理想国家

さらに、このプロセスを歴史に当て嵌め、弁証法の流れの中で人間は自由を得られると考えました。
このような考え方を、進歩史観と呼びます。

古代から中世にかけて、主人は奴隷の労働があって自分がいることを知り、奴隷は労働を通して欲望を抑えることを知るようになります。
中世から近代にかけて、自己中心的な意識からみんなにとっての普遍的な自己意識を得るようになります。
そして、近代から現代にかけて、成熟した自己意識は理性となり、自分だけの納得ではなくみんなのための納得を求めようとして、みんなのための社会を実現しようとする。
さらに、道徳と法律の綜合や家族と市民社会の綜合を通して理想的な国家像を描きました。
そして、その典型的な国家がプロイセン王国であるとしました。
このような考えに至った背景には、ナポレオンのドイツ侵攻による現実社会の危機的な状況が影響していたことが考えられます。
これが絶対精神を理想とするヘーゲルの哲学思想です。

ということで、いかがでしたでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました!
初回にも関わらず、なかなか濃ゆい内容になってしましましたが、みなさん大丈夫でしたでしょうか?💦
もし分かりにくい点やここちょっと違うよという点などありましたら、コメントに書いていただけると今後の参考になりますのでよろしくお願いします。
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次回予告
【やさしい哲学】第2弾 怒涛の階級闘争『マルクス』
お楽しみに!

参考文献

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